コラム ― ポーランド・ドイツ、アウシュビッツの旅

中野さなえと子育て、ホット一息

アウシュビッツの旅の報告・追加のまとめ その1

 今度の旅は、ナチのホロコーストのでディテールを知り、体験を通してその残忍性と被害者の苦しみを感じ取ることでした。何が行われたのかを知る旅は、十分に目的を達し、百聞は一見にしかず、体中戦慄が走りました。
 安倍首相のやろうとしていることは、人間の進む道ではない。日本でのたたかいの重要性をしっかりかみしめた旅ともなりました。

 一応の旅の締めくくりのまとめをして、一区切りにしたいと思います。

今日は、ちょっとつらい写真も添付します。

日本人として一人一人が過去と向かい合うことの重要性

 最初に、 ホロコーストは、計画的にシステム化されたな殺人工場ですから、一般的な残虐な行為とは全く別の次元の問題とされています。
 「償いの証」のメンバーが、ドイツ人もソ連軍に東欧を追われ、多大なる被害を受けた。だから「ドイツ人も被害者だ」との声に対して「それも事実だ。しかし、その原因を作ったのはドイツだ」との言葉は印象的でした。

 ドイツも、戦後、最初から過去としっかり向かい合い、反省をしていたわけではなかったのです。
 アデナウアー首相は世の批判を浴びて、1951年に初めてユダヤ人に対する謝罪をしますが、「民族虐殺」との言葉は避け、レジスタンスを過大評価していました。

 ドイツ国民やユダヤ人、世界の世論の力で60年かけて深化してきたとの歴史に、私は感動を覚えています。
 やはり、最終的には、国民と世論が政治を動かしてゆくのです。

 日本も、今、戦争への道への怒りと平和の希求がマグマのように煮えたぎっています。

 私は広島を考えました。
 原爆の威力を知るため、落としたたくて仕方がなかったトルーマンも悪い、ポツダム宣言の数日前に無条件降伏を受け入れなかった日本も悪い。

 国民が犠牲者になり、何代にもわたって苦しみを続けることになりました。

 後世のものに戦争責任はない。でも、原爆の被害も、その原因を作ったのは日本の行った侵略戦争であることを忘れてはいけないと思いました。外に向かっては「日本」の戦争責任が問われるのです。

 私たち一人一人が、過去と向かいあうとはどういうことか、ドイツの市民の運動を垣間見て、思うところ深くありました。

ホロコーストのディテールを国民は知っていたのか

 ホロコーストの事実が世界に広く知られるようになったのは1987年、アメリカのテレビドラマ「ホロコースト その家族」がきっかけだったと言います。日本では映画「シンドラーのリスト」が宣伝力になりました。

 ドイツでは、1963年12月から行われたアウシュビッツ裁判(虐殺にかかわった軍人の裁判)の報道と膨れ上がった傍聴人を通して、一般市民は、初めてアウシュビッツの蛮行の詳細を知った、という分析もありあす。

 でも近年、世論調査の分析から、実はほとんどの一般市民は知っていたと考える見方も出てきました。

 戦争の激化に伴って、あらゆる階層から暮らしをはじめとして様々な分野での不満が噴出し、障害者の「安楽死」殺人では批判の声が上がったのに対して、ユダヤ人政策については反応が出ていないことから、多くのドイツ住民が、知ってはいたが受動的態度を取り沈黙をしたという解釈もされています。

 それはなぜか? 歴史的にあったユダヤ人に対する差別意識が、ナチスの利用によって洗脳されたのか。ナチスへの恐怖からか。両方かもしれない。

 いずれにしても、一般市民が知っていた、知らなかったにかかわらず、ナチの蛮行に勇敢にたたかったレジスタンスがあったのです。尊敬の念をいだき、カール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルグの写真の前でも敬意を表してきました。

 日本の場合は、海を渡っての中国や韓国、アジア諸国での蛮行でしたから、日本軍がどれほどひどいことをしてきたか、当時の国民はその詳細を知っていただろうか、と疑問がわきます。
 そういえば、そんな質問は戦争経験者の誰にもしたことがありませんでした。

 絞首刑にした「囚人」を前に、笑ってさえいるナチ兵士。この写真は実際にドイツの教科書に載っているそうです。ポーランド、フランスなどと、共同研究で教科書を作り、子ども達は共通の教科書で学んでいます。ユダヤ人の虐殺人数も600万人で一致しているとのこと。7割が虐殺されました。

戦争の矛盾が絶滅作戦に

 ホロコーストを考えるときに、ヒトラーの反ユダヤ主義がユダヤ人の絶滅作戦を行ったのだと考えがちですが、そう単純ではないようです。
 一つには、反ユダヤ主義は、非常に長い歴史をもち根強い差別がヨーロッパに存在したこと。1516年にはすでに、イタリアベネツィアにユダヤ人ゲットーができています。
 ユダヤ人がキリスト教徒の子どもを誘拐してきて、祭壇に供えるとしてナイフで血抜きをしている残忍なポスターがありました。ユダヤ人は恐ろしいと植えつける中世の絵でした。
 こうした宣伝で、ユダヤ人を排斥し、仕事からも締め出してきました。

 ナチがユダヤ人かどうかの人種わけの表。何分の一でユダヤの「血」が入っているか祖父母まで追って調べます。まるで非科学的、非人道的な調査です。第一級混血、第二級混血と分類されました。

 ヒトラーも、強烈な反ユダ思想をもっていました。国民の反ユダヤ思想をうまく利用したともいえると思います。
 が、最初は絶滅作戦の考えは持っておらず、ドイツからユダヤ人を追放することが目的でした。
 なぜ大虐殺に至ったのかは次回触れますが、追放政策は最悪の事態へとつきし進んでいくのです。

 ヴァ―ゼル会議で「絶滅作戦」が計画されます。

 「私はドイツ人でありながらユダヤ人と交際しました」との札をかけ、見せしめです。この後処刑されたそうです。右の女性の笑っている顔を見てください。

 アイヒマンはゲシュタボの各地センターに、「これからの移送は大ドイツ国家領域のユダヤ人問題の『最終解決』の始まりである」と明言しました。

 絶滅収容所が次々と建設されていきます。

 私たちが見学したビルケナウでは、窓のない列車に、食べ物も与えられず用もたせず、ぎゅうづめで送られてきた「囚人」が、下車するとすぐに「使える者」「役に立たない者に選別されました。

 全く窓のない列車。絶滅収容所につくまで扉は開きませんでした。何日も立ちっぱなしで、中で死亡する人も。

 「役に立たない者」はそのままガス室へ歩かせました。「役に立つ者」は、収容所近辺に乱立した企業で強制労働させられました。いくらでも労働力は送られてくるので、酷使して殺すのも効率と考えられました。ある会社では労働者の6割が「囚人」だったと言います。

 あのフォルクスワーゲン社も軍事生産のために述べ2万人の強制労働を行わせたと、戦後、過ちを公表報告しています。戦犯に時効はないとした毅然とした態度とともに、企業もそこは日本と根本的に姿勢が違います。

 毒ガス チクロンB ガス室の天井の穴から落とされました。アウシュビッツでは写真を撮ってはいけない展示もたくさんありました。

 ヒトラーはもちろん、異常で許すことができない人間です。でも、ホロコーストはヒトラーの命令一下で行ったと、単純に言い切れない問題を私も感じてきました。

                     つづく・・・・

        (2015年6月2日  記)

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